知的財産権の活用による地域活性化セミナー | 第2部 事例紹介およびパネルディスカッション : だだちゃ豆の歴史

平成19年11月19日 東北農政局にて行われた
「知的財産権の活用による地域活性化セミナー」 紹介ページ

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第2部 事例紹介およびパネルディスカッション

事例紹介およびパネルディスカッション

テーマ: 
だだちゃ豆の成功の秘訣について
知的財産権を活用した農山漁村振興のこれからの展望
パネラー: 
田沢 繁 氏(JA鶴岡)
佐藤 トシ 氏(地元農家)
正林 真之 氏(弁理士)
小野寺 隆 氏(弁理士)
コーディネーター: 
福井 隆 氏(東京農工大学大学院客員教授)

福井氏
 今日は、JA鶴岡の田沢さんから、「だだちゃ豆」という資料をお持ちいただきました。田沢さんより取り組みの内容についてお話をいただきます。
 田沢 繁 氏 (JA鶴岡) 田沢 繁 氏 (JA鶴岡)
田沢氏
 皆さんこんにちは。ただ今ご紹介をいただきました、JA鶴岡で営農部、販売も含めて担当しています田沢と申します。今日はひとつよろしくお願いをしたいと思います。
 正林さんから非常に宣伝を含めてご紹介をいただきまして、私どもとしても大変光栄に思ってございますし、ありがたいなぁと思っております。
今日は簡単な資料を作ってまいりましたけれども、はじめの「だだちゃ豆の歴史」は、佐藤トシさんもおいでですので、その辺は後ほど詳しくお話を伺いたいと思います。

だだちゃ豆の歴史
殿様のだだちゃ豆JA鶴岡が販売している冷凍枝豆
「殿様のだだちゃ豆」
 結構ストーリーがありまして、商品のパッケージに「殿様の」といういわゆる冠をいただいております。このだだちゃ豆というのは昔からこの在来、鶴岡の地域で作られてきた在来作物に位置づけられます。「だだちゃ」というのは、我々庄内地方で「お父さん」とか「親父さん」という意味です。
 昔、鶴岡は、徳川譜代大名だった酒井藩が鶴岡城を建てて治めておったわけですけれども、そのお殿様に献上された枝豆が非常に美味しかったということです。小真木という地域があるのですが、この小真木からお殿様にその枝豆が献上されました。そこで、これは非常に美味しい豆だということで、殿様が「これはどこのだだちゃ(親父さん)が作った豆なのか?」とおっしゃった。あるいは翌年、「あのだだちゃが作った枝豆がまた食べたい」とおっしゃったというようなことから「だだちゃ豆」と名づけられたと言われております。
 ホントかウソかはわかりませんけれども、これはいい物語だなぁということで、ここに「殿様のだだちゃ豆」というように、ネーミングさせていただいています。
 酒井の殿様は現在も鶴岡においでです。江戸から明治に変わるときに、諸大名はほとんど東京に集められたというようにいわれていますけれども、その諸大名の中でも、庄内鶴岡の酒井家は鶴岡にそのまま残ってよいとされたそうです。ひとつには地元からの請願、要望が随分あったと聞いております。そのようなことで現在も殿様が鶴岡にいらっしゃいます。その殿様である酒井さんに、「殿様」という言葉を使わせてもらっていいですか、というお願いをしました。酒井さんから快諾、了解を得て、JA鶴岡のだだちゃ豆製品には、すべて「殿様」をつけてございます。


だだちゃ豆の歴史

(資料より)

 名前の由来としては、1800年代の終わりごろに、庄内藩の殿様が小真木(鶴岡市南部の集落)の太田孝太さんという方の枝豆を食べたとき、あまりの美味しさに「このようなうまい豆を作ったのは誰じゃ」とたずね、お付きの人が「小真木のだだちゃが作ったものです」と答えたことから、その後も小真木のだだちゃの豆が食べたいとしばしば言ったそうで、いつしか「小真木だだちゃ」と呼ばれるようになったのが始まりと言われております。
 また、現在のだだちゃ豆の中心的品種となっている「白山だだちゃ」については、明治末期に鶴岡市白山集落の森屋初さんが、自宅で栽培している中から特異的に現れた特に美味しい枝豆を選抜していったものが原型となっており、まさに地域の農家が守り育ててきた「在来の宝物」と言えるでしょう。



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