知的財産権の活用による地域活性化セミナー | 第2部 事例紹介およびパネルディスカッション : JA鶴岡茶毛枝豆専門部の取り組み経過

平成19年11月19日 東北農政局にて行われた
「知的財産権の活用による地域活性化セミナー」 紹介ページ

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第2部 事例紹介およびパネルディスカッション

JA鶴岡茶毛枝豆専門部の取り組み経過
田沢氏

専門部の設立
  → 京浜方面への出荷開始
ダンボールにアイススティックを入れて
  バラ出荷
動力脱莢機の導入
300g防曇袋にエージレスを入れ、
発泡箱に入れて出荷。
採種圃を設置し、種子を一元的に管理
経済連流通センターの予冷庫利用
JAで集出荷施設建設
250g袋に量目変更
加工(アイスクリーム)への取り組み開始
P-プラス袋に全面変更
「だだちゃ」商標の独占的使用権取得
JAで予冷庫・加工施設建設
採種研究会設置、種子基金創設
だだちゃ豆生産者連絡協議会設立
出荷容器をダンボールに変更
ビール会社CM放映
個人予冷庫の普及
だだちゃ豆ナイターなど販促活動
P-プラス袋・デザイン変更、
  宣伝対策費拠出
産地づくり交付金による生産拡大
特別栽培だだちゃ豆研究会発足
全国的な豊作により価格暴落
山形セレクション認定
やまがた安全安心取組認証
入荷時での食味検査実施、価格回復
 だだちゃ豆を地元だけの消費ではなく、東京方面、関東関西に流していきたいというようなことで進めてきたのが、ここ20年来の取り組みです。枝豆はとうもろこしと一緒で、収穫をしてできるだけ早く茹で上げる。これがやっぱり一番美味しく食べる最大の方法なのですが、残念ながら京浜まで届けるということになってくると、これがなかなかできないわけです。正林さんの話の中で、当初なかなか伸び悩んだというお話がございましたけれども、まさにその通りで、従来は枝豆の流通というのは根と枝を付けたまま販売をする、地元の流通もすべてそういう形態でした。
 東京に出すことになったのは、こんなにいい枝豆だから是非持ってきてくれと、東京のあるスーパーのバイヤーさんからいわれたのがはじまりです。当初はやはり枝付き、根付き、新聞紙でくるんで東京に届けたということですが、当時はコールドチェーンも充分ではありませんでした。収穫時期は一番の真夏です。夜温でも25度を超える中、トラックにのせて上っていくと、東京に着いた時点ではもうしんなりしている状態、あるいは、色も変わっている状態、いうようなことでまったく評価をされなかったというのが最初です。そのころ佐藤トシさんからもご協力をいただいて、なんとか東京でうまく売る方法はないだろうか、ということで考えたのが、いわゆるサヤを外して袋に入れてということでした。しかし編み袋だと全く同じなのですね。結構東京でも編み袋で流通していた時代なのですけれども、せっかく山形から持ってきても、これではダメだということでした。
 そのようなときに出てきたのがダンボールです。ダンボールに、アイスクリームのアイススティックの氷のお菓子がありますけれども、あれと同様に水を凍らせて、そのアイススティックを入れて出荷を始めました。なんとか色は持つけれども、残念ながら日持ちは悪いという状態でした。当初非常に苦労したこれが昭和61年ですから、昭和の時代になります。今から20年以上前になろうかと思います。
 平成に入って防曇袋300グラムにエージレスを入れてということで、そこそこにいいものが出せるようになりました。しかし残念ながらコールドチェーンにはなっていなかったので、収穫してから2日目、3日目の販売になってくると当然味が落ちてくるということになっていたわけです。
 グラフを見ていただきますと、やっぱりそのような形で、平成8年ぐらいまでは横ばい状態でした。けれども、単価のグラフを見ていただきますと、平成5年の頃から、今のエージレスタイプで味がある程度確保できるようになって、単価がキロ千円というラインになりました。7月、8月の東京市場の枝豆の平均単価が350円ぐらいです。そこに、キロ千円の評価をいただいたと、それだけやはり、ダントツに味が優れていたということだったと思います。

だだちゃ豆年次別実績グラフ(出荷量&単価)JA鶴岡茶毛枝豆専門部のデータです。

 なかなか量的には伸ばせない時代がありました。ドラスティックに大きく変わったのが、平成8年から9年のことです。ここに商標の問題があります。平成9年に、 だだちゃ商標の独占的使用権取得 がありました。いわゆる青果物の類で「だだちゃ」という商標がとられてございまして、農協でとろうと思ったときには既に商標権者があったということです。どなたが取得されているのかなということで調べてみますと、すぐ隣の酒田市の方で納豆屋さんを経営している方でした。その方が平成8年に、「だだちゃ」の商標をとっていらっしゃったわけです。その方は納豆の加工業者ですから、納豆等に使えればということで、「だだちゃ」の商標をとったということでしたけれども、生での販売は考えてないということでございました。その社長さんといろいろ交渉をさせていただきました。地元の弁理士さんを通してなんとか「だだちゃ」をJA鶴岡で使わせていただけないだろうかという交渉をしました。約1年近くかかりました。その結果、独占的使用権というようなことでJA鶴岡が「だだちゃ」を使っていいですよということになりました。平成9年にそういう形になりました。
 また同じ平成9年に「P-プラス」、これは住友ベークライトという会社の商品ですけれども、平成6年ぐらいからいろいろ試験をしまして、だだちゃ豆に適した品質保持できる包装材を一緒に開発をさせていただきました。今は、P-プラスはホンレンソウでも何でも使えるようになっていますけれども、元々は住友ベークライトさんといろいろ協議をしながら商品を開発していただいたということです。P-プラスによって今までのエージレスに比べて、日持ちがダントツによくなり、鮮度が十二分に保持できるようになりました。
 さらにもう一点は、コールドチェーンです。平成10年にJA鶴岡は大きな予冷庫を建設しました。それから、農家の皆さんの庭先にも、個別に予冷庫をどんどんいれていただくように市の行政にも支援をお願いしました。大きい作付面積を持っていらっしゃる個別の農家は、ほとんどの方が一坪二坪の予冷庫を持っています。
 だだちゃ豆は一番暑い夏が収穫時期になりますので、朝3時ぐらいから収穫が始まります。収穫してきたものを袋詰めにして予冷庫に一旦入れます。そして農家の庭先で一旦冷やしたものを夕方、農協のほうに持って行きます。農協ではすぐに大型の予冷庫に入れてどんどん発送をするという流れになります。それから夕方採りがあります。夕方4時以降に採ってくださいということで、日中の一番暑い時間ではなくて、4時以降に収穫します。それを農家の皆さんが夜の9時、10時までかかって袋詰めをされます。そしてそれを自分の予冷庫に入れて翌朝一番に農協に持ってきていただくということです。
 そのように1日基本的には2回集荷というスタイルをとっています。
 いかに早く冷やすかということでの取り組みを徹底してやってきた、その辺が平成8年から9年ごろからで、ある程度だだちゃ豆を、量的にも質的にも、全国展開できるという体制が整ったところです。
 また、生産者の皆さんからもご理解をいただいて、「なかなか面積はれないよ」というところをあえて、面積をはっていただくという体制をとらせていただいたということです。グラフにありますように、その後、平成9年以降どんどん右肩上がりに伸びていきました。
 もう1つの大きなポイントが平成12年、13年ごろです。徐々に全国的に「だだちゃ豆」というなんか面白いものがあるということで注目をされ始めました。中央のテレビ、メディアでこのだだちゃ豆が取り上げられるようになりました。
 大きく爆発したのが平成13年のビール会社のコマーシャルです。その一連のコマーシャルは今も続いています。ビール会社さんのご当地めぐりというようなことで、中山美穂さんが30秒コマーシャルの中で、「だだちゃ、だだちゃ、だだちゃがほしい!」とくりかえされています。美穂さんが田舎に帰省をして一番最初に何をやりたいかなということで、「だだちゃが食べたい!」と足をバタバタさせて、ビールと一緒にだだちゃ豆を食べるという、そういうコマーシャルが平成13年に放映されました。これは大変な事態でございまして、応じきれないぐらいの注文があちこちから入ってきました。
 コマーシャルではその他に、加賀のきゅうりなども取り上げられたのですが、加賀のきゅうりといっても流通量が少ないのですね。あのコマーシャルで宣伝されるともう大変という、市場がパニックするほどに注文が殺到するということでした。平成13年のコマーシャルのときはいろいろなところから様々な要望がございました。そんなこんなでだだちゃ豆が全国版になってきました。
 農協では3年に1回、地域農業振興運動計画というのをたてます。平成16年、鶴岡市農協の遠藤稔組合長が大きな構想を打ち上げました。
 当時生産調整がありました。鶴岡は米どころです。米の生産調整を約三割しなくてはならない。すると6千ヘクタールのうち2千ヘクタールを転作しなければならなくなりました。当時、転作の中心は大豆だったのですが、思い切って、「だだちゃ豆1000ヘクタール構想」というものを打ち上げました。
 なんとか1000ヘクタールの面積を確保しようということで、国からの産地づくり交付金なども活用して、新規にだだちゃ豆の面積を増やす場合は、10アール当たり5万円奨励措置で出しましょうというようなことも行政と一緒になってやりました。
 結果、面積も大幅に増えました。現在は700ヘクタール前後あります。従来、佐藤トシさんのように昔からだだちゃ豆を作ってらっしゃる方々は、市内に多くいらっしゃいます。JA鶴岡では、その皆さんは自分たちのルートで今までどおり売っていただいてぜんぜん結構ですよ、あくまでも地元の商品、地元の流通については皆さんにお任せします。JA鶴岡は京浜を中心として県外に出荷するものをがんばります。という住み分けをそこでさせていただいたつもりです。
 現在我々はだだちゃ豆専門部、茶毛枝豆専門部という名前をつけておりますが、最初は京浜枝豆専門部という名前でした。
 今の700ヘクタールの内、農協で扱っているのはグラフにありますように、面積で約300ヘクタールです。残り400ヘクタールは自分の家で消費をしたり地場に流れたり、あるいはインターネット等で個人で全国に流すという方々もいらっしゃいます。そのような形で住み分けをしながら、今まで展開をしてきました。

だだちゃ豆年次別実績グラフ(面積&10a収量)JA鶴岡茶毛枝豆専門部のデータです。

 だだちゃ豆というのは反収が他の枝豆に比べると採れません。だいたいサヤにすると一反部(10アール)あたり300キロぐらいです。他の枝豆、群馬産や千葉産の場合は500キロ取れるのです。ですから量的にはなかなか取れない、けれども単価についてはキロ千円前後ということですから、300キロ、仮に10アール当たり取れれば、30万になります。
 今、米で10俵とっても14、5万にしかなりませんから、やはり転作の一大品目としてこのだだちゃ豆を鶴岡の農家の皆さんは取り入れ、経営のひとつの大きな柱になっているととらえていただいてよろしいかと思います。



JA鶴岡茶毛枝豆専門部の
取り組み経過

(資料より)

 地場出荷中心だった「だだちゃ豆」を東京のスーパーのバイヤーから「東京に出荷して欲しい」という要望があり、京浜方面へ脱莢しての出荷をするため立ち上げたのが昭和61年度からです。初年度は320kg程度の出荷量からスタートしましたが、着荷状態でサヤが黄化したり、独特の香りが腐っていると思われたりと3~4年は苦労の連続でした。平成2年から包装資材を変え、予冷の徹底を図ることにより鮮度保持に万全を期すと共に、形質統一のための採種の一元化などに取り組む中で、水田転作の増加と米価の下落とあいまって近年急速に生産拡大され、平成19年度には栽培面積298haとなり、全国有数の枝豆産地となりました。
 また、規格外品の有効利用としてアイスクリームやフリーズドライなどの加工にも取り組み、市場出荷・産直・加工などJA鶴岡の枝豆関連の販売高は約11億円となっています。

平成17年 出荷先比率平成17年 出荷先比率



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